今回は、「アンネの日記」著者アンネ・フランク一家の隠れ家を密告したとされる「アーノルト・ファンデンベルフ(Arnold van den Bergh)」が何者かをご紹介します。
「アンネの日記」は1944年8月1日に突然終わっており、その後、アンネの父を除く一家全員が収容所で亡くなってしまいました。
アンネ一家を密告した人物がいたことはすでに判明していたのですが、なんと77年ぶりに人物名が特定されましたので、詳しくご紹介していきます。
※ネット上の情報をまとめたものですので、不正確な情報もあるかもしれませんがご了承ください。
【アンネの日記】アーノルト ファンデンベルフとは何者か【経歴wiki】
調べた所、アンネの日記著者・アンネフランクを密告した人物は「アーノルト・ファンデンベルフ(Arnold van den Bergh)」という人物とのことです。

まずは、ファンデンベルフ氏のプロフィールからご紹介します。
- 名前:アーノルト・ファンデンベルフ(Arnold van den Bergh)
- 生年月日:不明/1950年に咽頭がんで死去
- 国籍:オランダ(ユダヤ人)
- 「ユダヤ人評議会」創設メンバー
- 職業:実業家(美術品の公証人)
- 身長:175cm
- 体重:70kg
詳しい学歴は不明ですが、出身国のオランダにて大学を卒業後に実業家として活躍。
顔画像は発見できませんでしたが、母国では知名度もそれなりにあったという情報もありました。
また兄弟も複数いたとされています。
所属していた「ユダヤ人評議会」とはユダヤ人による自治組織のことです。
また、結婚して子どももいたということですが、妻や子どもに関しての情報はありませんでした。
とはいえ妻子を守るため、アンネフランク一家の隠れ家を密告したのが1944年。
このときファンデンベルフ氏は、ドイツ人同士での美術品の公証人を請け負っていたとのことです。
ファンデンベルフは、ユダヤ人から略奪された美術品コレクションがドイツの美術商からナチス幹部のヘルマン・ゲーリング(Hermann Goering)に売却される際の公証人を務めていたことから、密告する機会もあったとみられている。
引用:AFP BBNEWS
公証人とは、法律に精通したエキスパートで、相続問題や離婚問題の際、遺言書や養育費の契約書などの「公正証書」を作成する人のことです。
ファンデンベルフ氏の場合は美術品の公証人ですので、おそらくコレクションが人から人へ渡る際の「証書」を作成する仕事に従事していたものと思われます。
ナチスの幹部と接触する機会があったとされるファンデンベルフ氏。
報道によると、アンネ達が密告されたちょうど同時期、ファンデンベルフ氏一家は「収容所への移送免除」が取り消された直後だったようです。
続きましては、ファンデンベルフ氏がアンネフランク一家を密告した理由についてです。
【アンネの日記】アーノルト ファンデンベルフが密告した理由
美術品コレクションの公証人をつとめていたアーノルト・ファンデンベルフ氏。

ユダヤ人であったものの、ナチス幹部の公証人をつとめていたことで、収容所送りを免除されていたことはお伝えしましたが、その免除が取り消されたのが1944年8月だったようです。
なので、自分の家族が収容所送りにならないために、アンネ一家の隠れ家を密告して手柄を収め、再び免除を延期してもらおうと考えたのでしょうね。
ナチス政権下が行ったユダヤ人の収容所送り、いわゆるホロコースト。
ユダヤ人たちはいくつかの収容所にわけて移送され、毒ガスによって命を奪われました。
アンネフランクが、姉・マルゴットとももに送られたのは、ベルゲン・ベルゼン強制収容所。
アンネが収容されていたのは、1944年8月〜1945年3月とされており、アンネフランク自身は、毒ガスではなく「発疹チフス」とい感染症によって亡くなったとされています。
【アンネの日記】アーノルト ファンデンベルフは罪に問われるのか
アンネの日記著者・アンネフランクの家族を密告したアーノルト・ファンデンベルフ氏。
ファンデンベルフ氏はすでに死去しているため、罪に問われることはないと思われますが、世界中の「アンネの日記」ファンからは、今後批判され続けると思われます。
とはいえ、ファンデンベルフ氏がすべて悪いわけではなく、批判されるべきは、同じユダヤ人を密告しなければならないほど彼らを追い詰めた当時のナチス政権です。

研究チームが77年ぶりに発見した密告者の実態。
これは「アンネの日記」のアンネ・フランクだけでなく、当時のユダヤ人迫害の歴史を繰り返さないための重要な歴史的証拠といえます。
事実、ファンデンベルフ氏が密告者であることは、すでにアンネの父・オットーはわかっていたといいます。
しかし世間にはずっと公表しないできました。
その理由は、下記の通りです。
オットーが文書を公表しなかったのは、裏切り者がユダヤ人だったことが明らかになると反ユダヤ感情があおられる恐れがあったからではないかと調査チームは考えている。
引用:AFP BBNEWS
同じ差別を受けてきたユダヤ人同士だからこそ、あえて父・オットーは公表してこなかったんですね。
今後さらに研究が進めば、また新たな発見があるかもしれません。
発見といえば、先日みずほフィナンシャルグループの社長に就任した木原正裕氏が、官房副長官の兄だった件はご存じですか?
詳しくは、みずほFG木原正裕の経歴学歴wiki情報【木原誠二官房副長官の兄】でまとめていますので、よかったらご覧ください。
以上、「アンネの日記」著者アンネ・フランク一家の隠れ家を密告したとされる「アーノルト・ファンデンベルフ(Arnold van den Bergh)」が何者かについてご紹介しました。