今回は、二階派の鶴保庸介参議院議員について、ご紹介していきたいと思います。
鶴保議員というと、野田聖子氏と事実婚していたことでも有名ですが、野田氏と別れた後には一般女性と結婚して、子供も誕生しています。
ですが、入籍からわずか二か月後、鶴保庸介氏は妻の同意なく、勝手に離婚届を提出。
身重の妻に対しても、ひどいモラハラだったことが明らかとなりました。
そこで当記事では、鶴保庸介議員と嫁・子供に何があったかをまとめましたので、ぜひ最後までご覧ください。
鶴保庸介が嫁と子供を捨てた件について
まず、鶴保庸介氏が元嫁と知り合ったのは、共通の知人の紹介だったそうです。
鶴保庸介と嫁の馴れ初めは共通の知人
共通の知人というのは、鶴保庸介氏と同じく和歌山県出身の方だったそうで、紹介された2011年当時は鶴保氏が44歳、元嫁が26歳。
なので、一回り以上離れた18歳差だったとのこと。
ほどなく交際がはじまり、2013年夏に女性の妊娠が発覚。
しかし、元嫁が妊娠を告げると、鶴保氏の態度が急変したそうです。
鶴保氏は、入籍したいと希望する元嫁に、「婚姻届と離婚届の両方にサインする」ことを条件として提示。
元嫁は条件を飲んで泣く泣くサイン。
(この時点で、すでに別れる前提だった婚姻関係とも捉えることができますね。)
そして、2014年2月に鶴保庸介氏と入籍しました。
ちなみに、入籍したのは出産の3週間前なので、女性は妊娠9か月の頃だったと思われます。
ですが、入籍からわずか2か月後に、鶴保氏が嫁の同意なく勝手に離婚届を提出してしまいます。
幸いにも、元嫁側から役所側へ「離婚届不受理」の手続きが行われていたため、鶴保庸介氏が提出した離婚届は無効だったそうですが、ここまで読むとなんともひどい仕打ちですよね。
離婚は無効になりましたが、あまりにひどい仕打ちに耐えかねて、2人は結局離婚してしまいました。
鶴保庸介は結婚生活でモラハラ気質だったのか
鶴保庸介氏は、勝手に離婚届を提出しただけでなく、妊娠中の元嫁に対してもモラハラ気質だったとのことです。
具体的には、身重の嫁に「早く歩け」と暴言を吐いたり、「寝転ぶときは俺に断れ」などと発言していたんだとか。
またつわりで苦しむ嫁に対して、いたわりの言葉をかけることもなかったそうです。
子供が生まれてからも、我が子に面会したのはわずか数回だったとのことでした。(ちなみに子供は男の子)
鶴保庸介氏は以前、事実婚状態だった野田聖子氏と、不妊治療をめぐって別れたと言われています。
子供が欲しかった野田氏は、鶴保氏と別れた後に再婚して現在お子さんを授かっていますが、もしかすると鶴保氏は子供があまり好きではないのかもしれませんね。
鶴保庸介の養育費がストップした理由とは
元嫁と子供を捨てたも同然の鶴保庸介氏ですが、離婚後は慰謝料ナシで、養育費は毎月8万円を支払う約束を交わしていました。
ところが、報道によると鶴保庸介氏からの養育費が途中でストップしてしまったとのこと。
2014年10月には慰謝料なしで月額8万円の養育費を払うという条件で協議離婚が成立した。だがその養育費も15年秋からは支払われなくなってしまったという。
引用:リテラ
上記によると、離婚したのは2014年10月ですので、入籍した2014年2月から約8か月後になりますね。
さらに養育費の支払いが滞ったのが2015年秋なので、支払い開始からわずか1年半でストップしてしまった形です。
これに対しては、「支払い口座が変わっていた」として理由を弁明した鶴保庸介氏ですが、現在もきちんと養育費は支払われているのか謎が残るばかりです。
鶴保庸介の現在は独身を謳歌中か
元嫁と子供、さらに野田聖子氏とも別れ、現在独身を謳歌している鶴保庸介氏。
ここまでご紹介してきたように、鶴保庸介氏は女性に対してかなりモラハラ気質のようですが、意外にも昔はモテたそうです。
かつては「永田町のプレイボーイ」とも呼ばれていたようですが、そんなプレイボーイの彼も現在は53歳。
今後、結婚の予定などはなさそうですね。
鶴保庸介氏といえば、公設秘書が不祥事を起こしたことも話題となっていますので、二階派の秘書が訪れたカラオケバーAの場所はどこ【DAY BREAK?】もあわせてご覧ください。
以上、鶴保庸介氏が嫁と子供を捨てた件についてご紹介しました。