今回は、脚本家・橋田壽賀子さんのご自宅についてご紹介していきます。
2021年4月4日、静岡のご自宅でお亡くなりになったという橋田先生。
「渡る世間は鬼ばかり」「おしん」などの脚本で有名になり、最期は女優の泉ピン子さんに看取られたということです。
そこで、橋田壽賀子さんが最期を過ごしたご自宅の場所「熱海自然郷」について、画像とともにご紹介していきます。
橋田壽賀子の自宅場所「熱海自然郷」とは
橋田壽賀子さんは日本人ですが、お生まれは韓国です。
9歳の頃に日本に帰国し、学生時代に大阪から東京へ移りました。
大学卒業後に、「松竹」初の女性社員として入社し、脚本部へ配属され、脚本家の道へ。
1966年に夫、岩崎嘉一さん(TBSプロデューサー)と結婚しますが、1988年に岩崎さんがガン宣告を受けます。
ご本人への告知は行わず、橋田さんは静岡の別荘地「熱海自然郷」で夫の看病を行いました。(岩橋さんは翌年1989年にお亡くなりになりました)
そんな愛する旦那さんと過ごした別荘で、余生を過ごした橋田壽賀子先生。
どんなご自宅だったのか、画像をご紹介していきます。
上記は、フジテレビ「おじゃMAP」にて、橋田壽賀子さんのご自宅を訪ねた香取慎吾 さんと山崎弘也さん。
とっても見晴らしのいいベランダですね!
それもそのはずで、「熱海自然郷」はこのような地形になっています。
熱海自然郷では、約50万坪の丘陵地を生かして、家が山肌に点在しています。
そのため、どの家からも見晴らしが良いのが特徴なんですね。
熱海自然郷は約2050区画もありますので、とても大きな別荘地です。
山肌にある別荘地ですが、海の近くでもあります。
地図で見ると、下記の通りです。
また、熱海自然郷には居住者向けの「温泉」や「テニスコート」もあります。
別荘地で静かに余生を過ごした橋田壽賀子さん。
下記はおじゃMAPでも放送された、香取さんとの自撮りシーンです。
ちなみにこの放送は2017年でしたので、今からおよそ4年前ですね。
まだまだお元気だった橋田壽賀子さん。
続きましては、橋田壽賀子さんご自宅の画像をご紹介していきます。
橋田壽賀子の自宅【豪邸画像や場所を紹介】
数年前まではテレビにもご出演なさっており、お元気な姿を見せてくれていた橋田壽賀子さん。
下記は、2017年に放送された「羽鳥慎一モーニングショー」出演時の画像です。
この頃すでに「終活」に取り組んでいた橋田先生。
とはいえ、週3回はバランスボールなどで運動していると語っておられました。(放送時はなんと91歳!)
他にも、羽鳥さんにご自宅の書庫や写真などを紹介なさっていた橋田壽賀子さん。
これまで手掛けた作品もすべて保管なさっていたんですね。
橋田先生の自宅場所については、「玄岳の山頂あたりに住んでる」と以前お話されていました。
地図で確認してみると、下記の通りです。
熱海自然郷の別荘地中心からは、かなり距離がありますが、橋田先生は静かな山の中で愛犬のさくらと一緒に生活なさっていたんですね。
ご近所の泉ピン子はどこに住んでいるのか
橋田壽賀子さんを看取った女優の泉ピン子さん。
最期にかけつけられたのも「ご近所」だったからなんだそうですが、泉ピン子さんはどのあたりにお住まいだったのでしょうか。
調べたところ、泉ピン子さんは「熱海パサニアクラブ」というマンションにお住まいである可能性が高かったので、どんなマンションかご紹介していきます。
まずは、外観から!
丘陵地に建てられた別荘地ですから、当然マンションもこのように山肌に沿うように建てられています。
1989年に建設されたこちらのマンションは、28階建て。
下から見ると、建物はこのように見えます。
ちなみに現在空き部屋が1つ(中古マンション)ありまして、そのうちのひとつのお値段が「3,480万円」でした。
2LDKで、広さは96.45㎡、バルコニー面積が28.11㎡。
間取りは下記です。
南向きのとっても明るい室内で、広さも十分ですね!
そして橋田壽賀子さんがお住まいだった玄岳山頂付近から、泉ピン子さんのマンション「熱海パサニアクラブ」までは、約12キロの距離でした。
伊豆スカイライン経由だと、車で約20分ほどの距離です。
近すぎず、遠すぎず、なんとも橋田先生の性格を誰よりもよく知っている泉ピン子さんらしい距離感のような気がしますね。
橋田壽賀子さんのご冥福をお祈りいたします。
芸能人のご自宅については、下記でもご紹介していますので、あわせてご覧ください。
以上、橋田壽賀子さんが最期を過ごしたご自宅の場所「熱海自然郷」について、画像とともにご紹介しました。