悠仁さまの作文全文内容とパクリ部分【本当に引用記載ミスなのか】

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今回は、2021年に開催された「第12回子どもノンフィクション文学賞」で佳作を受賞された、悠仁さまの作文全文の内容をご紹介します。

悠仁さまが書かれた作文の内容は、小笠原諸島での思い出についてです。

しかしその作文の中にパクっているような箇所があるとの指摘があり、現在話題になっています。

そこで当記事では、悠仁さまが書かれた作文の全文内容と、パクリ部分がどこなのか、また引用記載ミスの実態について調査しましたので、ぜひ最後までご覧ください。

目次

悠仁さまの作文全文内容!

第12回子どもノンフィクション文学賞
出典:第12回子どもノンフィクション文学賞

まず、悠仁さまが「第12回子どもノンフィクション文学賞」で佳作を受賞した作文の全文内容をご覧ください。

最初にご注意ですが、この悠仁さまの作文は約7,000文字の超大作です。

内容はともかく、とっても長い文章ですが、パクリ(引用記載ミス)部分については赤文字で示しています。

パクリといわれている部分の詳細だけをご覧になりたい方は、次の章へお進みください。

「小笠原諸島を訪ねて」 お茶の水女子大学附属中学校 二年 秋篠宮悠仁

今年は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で約二週間の夏休みとなりました。このようなことにより中学校の休暇期間中に旅行にいくことが難しかったので、今まで出かけた場所を思い出しながら振り返ってみることにしました。

数ある思い出の中で、特に印象に残ていることのひとつが、三年前、私が小学校五年生の夏休みに母と一緒に行った小笠原諸島への旅行です。私は初めて大型の船に乗り、二十四時間かけて小笠原諸島に向かいました。

この旅行で撮った写真や手元の本・資料を見ながら、小笠原諸島を訪ねた時のことを記してみたいと思います。

小笠原諸島は東京都ですが、約千キロメートル離れたところにある島です。したがって、この場所に行くためには、東京の竹芝桟橋から小笠原諸島の父島の二見港まで貨客船の「おがさわら丸」に乗っていく必要があります。船は天候の影響を受けやすく、台風の進路によっては欠航になることもあります。

「おがさわら丸」に乗船し、自分の荷物を部屋に入れ、出航の様子を見るために急いで甲板に出ました。そこには、すでに大勢の人が出航の様子を見ようと集まってきていました。
船が離岸し南下していくと、東京湾内の高層ビルが立ち並ぶ風景から、広い海の景色に変わりました。海は穏やかで、あまり揺れもなく、想像していた以上に快適でした。

船内には個室から大部屋までの客室がたくさんあり、洋室も和室もありました。売店、レストラン、船内案内所などがあり、まるで小さなホテルのようでした。
昼食を得た後、再び展望デッキに出海を眺めると、漁船や貨物船などが何隻も見えました。昼間に強かった日差しは夕方になるとやわらぎ、十八時過ぎに太陽が沈んでいく様子ゆっくりと望むことができました。夕食の後、もう一度デッキに上がって、満点の星空を観察しました。夏の大三角形、さそり座などを見ることができ、その晩は心地よい眠りにつきました。

夜が明け、日の出を見ようと五時前に起きました。窓の外を見ると、空が明るくなり始め、海原が広がっていました。急いでデッキに上がり、水平線から昇る朝日を眺めました。九時ごろになると進行方向左側にアホウドリの移住地として知られる千島の先端が見え始めました。目的地の小笠原諸島の父島に近づいていることがわかり、とてもうれしい気持ちになりました。下船の準備のため荷造りをしているうちに、船は父島にどんどん近づき、あっという間に二見港に十一時ごろ到着しました。

ここからは、小笠原諸島で過ごした五日間の中で特に印象に残ったことや考えたことなどを紹介します。

まずは、島の自然についてです。小笠原の海の色は美しい青色をしており、「ボニンブルー」と表現されます。ボニンとは英語で小笠原諸島を表すBonin Islandsにちなんだ言葉です。青い海をイメージすると沖縄を思い浮かべる人が多いと思いますが、小笠原の海の色は沖縄とは違う深く濃い青色です。

また、サンゴが生息しているところや、砂浜が広がっているところではエメラルドグリーンになっているところもあり、色の多様さも楽しむことができます。透明度は三十メートルを超え、沖縄と双璧をなす澄んだ海です。

その海中には、様々な生物がいます。代表的なものとしてウミガメをあげることができます。ウミガメは本土の近海にもいますが、特にアオウミガメは、小笠原諸島の近海に課す多く生息しています。小笠原諸島は日本で最大のアオウミガメの繁殖地です。ガイドの方が案内してくださった無人島のみ内示までは、美しい風景が広がり、真っ白な扇池の砂浜で孵化したばかりの可愛いウミガメの赤ちゃんを見ることができました。大きさは八センチメートルほどで、よちよち歩いていました。

また、小笠原海洋センターでは、水槽で飼育しているウミガメを観察して野菜を与え、ウミガメの生態や調査の展示パネルを見てまわりました。現在、ウミガメは国際自然保護連合レッドリストで、絶滅危惧r種に指定されていますが、このセンターでは、海洋生物の多様性の維持のために、様々な保全活動をしていることを知りました。そして、近くの浜辺で、センターの方と一緒に標識を付けた子ガメを放し、子ガメがゆっくりと進み、海に入っていく姿を見送りました。

次に、魚についてです。南島を後にして、船で海中公園に行きました。そこには、クマダイやクマノミ、ノコギリダイなどいろいろな種類の亜熱帯性の海水魚が泳いでいました。シュノーケルとマスク、そしてフィンを付けて海に潜ると魚が近寄ってきて、私はその数の多さに驚きました。また、水深数メートルのところに、キイロハギがエダサンゴの中を泳ぐ姿や、ウミガメがエダサンゴの上で休んだためにへこんだ跡も見ることができました。このように、少し小笠原の海に入っただけでも豊かな生態系にふれることができます。

小笠原の山はどうでしょうか。小笠原諸島の気候は亜熱帯に属しているため、本州では見られない固有種を見ることができます、植物では、タコノキ、ムニンヒメツバキなど、動物ではオガサワラオオコウモリ、ハハジマメグロなどです。しかし、近年の小笠原諸島では、固有の動物が外来種に食べられるという問題が起こっています。グリーンアノールというイグアナの仲間やプラナリアの一種はオガサワラシジミなどの貴重な昆虫を食べてしまいます。そのため、小笠原では、島や森林に入る前に、在来生物を守ることを目的として、消毒液でプラナリアを落としたり靴についた趣旨を除去したりしています。「おがさわら丸」に乗船した時も下船するときにも靴底を洗浄する行動の大切さが良く理解できました。私たち観光客も、貴重な自然を守ることを心掛ける行動をとることはとても大事だと思います。
父島の南端には、千尋岩という岩があります。ガイドの方の案内で、ふもとから三時間以上かけて森の中を登っていくと視界が開け、ボニンブルーの海が広がり、南島も見えます。千尋岩はハートロックとも呼ばれ、海から見るとハートの形をした岩になっているので、その名がつけられたそうです。高さは二百メートル以上あり、遠くからでもはっきりと見ることができました。試しに地図で調べてみると、千尋岩は等高線が狭くなっていて急であることがよくわかりました。このような岩の形は本州ではあまり見られないもののように思います。
小笠原諸島は、火山が隆起してできた島で、一度も大陸と陸続きになったことがない「海洋島」です。ではこうした島の生き物は、どのようにして島々にたどり着いたのでしょうか。

あるものは海流に乗って運ばれ、あるものは風によっ て運ばれ、翼をもつものは自力で、あるいはそれに紛れて、三つのW、Wave(波)、Wind(風)、Wing(翼)によって、海を越えて小笠原の島々にたどり着き、環境に適応 したものだけが生き残ることができました。さらに、人が島に住むようになり、いろいろなものが持ち込まれま した。

小笠原諸島は、二〇一一年に世界自然遺産に登録され、多様な自然を見たいと関心を持つ人が増えました。絶滅の危機にある固有種も多い小笠原諸島の自然を守るために、地元の人々や、研究者、ボランティアなどの多くの人々の地道な努力が続けられていることを忘れないでおきたいです。
さて、小笠原の海岸では夕日が沈むときに運がよいと見ることができる有名な「グリーンフラッシュ」があります。グリーンフラッシュとは太陽が一瞬、緑色に見える現象です。日没時や日の出時の二秒から三秒だけ見られるとても貴重な光景です。そして、遭遇する確率は父島が日本で最も高いそうです。父島でそれを見た瞬間は、水平線から緑の光が出てくるような感じがして、とても美しい光景でした。

次に小笠原の文化や歴史について紹介します。

まずは、小笠原に伝えられ、「東京都指定無形民俗文化財」に指定されている南洋踊りです。南洋踊り保存会の方々が、衣装をつけて、南洋群島の様々な島の歌と踊りを「レフト、ライト、レフト、ライト」とかけ声をかけながら、細長い木製タマナ(テリハボク)の打楽器であるカカが刻むリズムに合わせて、左右に足を出しながら披露してくださいました。この踊りは「ウラメ」、「夜明け前」、「ウワドロ」、「ギダイ」、「アフタイラン」という五つの曲からなっています。これは、大正末期から昭和初期に南洋諸島へ出かけたジョサイア・ゴンザレスによって伝えられたといわれています。私は保存会の方々に南洋踊りの踊り方を教えていただきました。初めて踊った時にはテンポがわからず、難しく感じましたが、だんだんとリズムや繰り返しの部分がわかってくるにつれ、少しずつできるようになりました。
また、小笠原は、島の食材を使った料理と多様な食文化があります。父島に到着した日の昼食に島の郷土料理である島寿司をいただきました。
この他にも、島で作られたシカクマメや島オクラなどの新鮮な野菜や果物、海の幸を使ったおいしい料理をいただくことができました。他にウミガメ料理もあります。煮込み料理など、あらゆる部位を使って料理をしていると現地の方に聞きました。昔は小笠原諸島の人々にとって、ウミガメは貴重な食糧の一つであり、今日まで、小笠原諸島の郷土料理として食べられ、食文化として伝えられています。
今回の旅行では、小笠原諸島戦没者追悼之碑を訪れました。その他に行く先々で戦災の跡が見られ、この地での歴史について考える機会になりました。
「小笠原諸島戦没者追悼之碑」は、硫黄島を含めた小 笠原諸島全体で亡くなった約二万四千名の戦没者の御霊を鎮める場所になっています。この碑は、沖ノ鳥島以外の主要な島から集められた石やサンゴを使って建てられたそうです。父島に到着した日に、この碑の前で、戦争で亡くなった多くの人々のことを想いながらお花をお供えしました。
追悼之碑を後にして、「小笠原村ビターセンター」を訪ねました。センターには、島で見られる自然や文化のほか、島の生い立ち、開拓や戦争の歴史についてのパネルや展示があり、様々なことを学ぶ機会になりました。戦時中、父島には軍の要塞が築かれたということを聞きました。その後、実際に山を登ったときには軍の通信所や車両、発電機の一部を目にしました。また、海面上には座礁した貨物船「濱江丸」の一部が見えました。このようにして、ビジターセンターを見学し、島の中を歩き、案内してくださった方々のお話を聞きながら、戦争のことを学び、当時の島の人々の暮らしを考えることは大事なことだと思いました。

そして、滞在四日目には、日帰りで母島を訪れました。その旅をお伝えします。

朝の七時半に二見港を出航した船「ははじま丸」が南下すると、海上にはたくさんのカツオドリが飛び交うようになり、約二時間後には母島の沖港に到着しました。ここも父島と同様に、船を降りたときにはマットで靴の泥などを落としました。

初めて行ったのは、東京都道として最も南にある「都道最南端」の南崎です。ここでも、外来種を持ち込まないようにするために、再度靴底の土などをよく落としてから、タコノキやオガサワラビロウが茂る遊歩道を歩きました。固有種の小さなカタツムリをたくさん見ることができ、母島の生物相にも関心を持ちました。その後に果樹農家を訪ねて、マンゴーを摘み、生産用のパッションフルーツのさし木をするなどしました。引き続き案内してくださった畑では、島オクラやシカクマメなどの島野菜の栽培のお話を伺い、島の環境に適した野菜の大切さを知る機会になりました。

戦前からの暮らしを伝えるロース記念館では、写真や地図を始め、タコの葉細工や甘庶圧搾機の模型などを見ることができました。記念館を造るのに用いられたロース石は、母島特産の加工しやすい石材で、記念館の近くには、以前使われていた石切場がありました。

五時間半ほどの滞在はあっという間にすぎ、「ははじま丸」が停泊する港に戻る時間になりました。子どもたちが打楽器のカカを鳴らし、大鯨と小鯨ののぼり旗を掲げる島の人たちが、父島に向かう私たちの船を見送ってくれました。そして最後には、訪ねた農家の方が海に飛び込み、手を振って見送ってくださり、私たちは感謝の気持ちをこめながら、いつまでも手をふり続けました。母島を歩きながら、緑深い自然にふれ、人々の暮らしとあたたかさを感じる思い出に残る時間を過ごすことができました。

最後に、私が見た島の生活について触れてみたいと思います。

父島に下船してすぐ、店に行ったとき、野菜が並べられているはずの棚に野菜がほとんどなくなっていることに気がつきました。そのとき、おがさわら丸に乗船中、船尾に積まれている緑色や白色の大きなコンテナに、島で暮らす人々の生活を支える食料品などが入っていると教えていただいたことを思い出しました。夕方、再度店を訪ねたところ、棚には食料品が補充され、改めて竹芝桟橋と二見港を結ぶ定期運航便が島の人たちの生活を支 えていることを実感しました。

台風が多く通過する小笠原諸島は、台風情報が入ると、家の雨戸をしっかりと締め、雨戸がない窓は板などで保護し、学校も台風の状況によって休校となり、家の中で、普段できない話などをして過ごすそうです。
台風が通過するときは、「おがさわら丸」も出航できないので食料品は島に届かず、生活が不便だと思いますが、その一方で、台風がこないことも、自然に大きな影響を与えるそうです。今年は、七月、八月と台風が小笠原諸島に接近しなかったので、海水温の高い状態が続き、サンゴが白化しているとの話を聞きました。また、適度な強さの台風がくることによって、海水がかき回され、外洋の海水と入れ替えが行われ、海水温が下がることは、サンゴにとっていいことであると海を案内してくださった方が話してくださいました。
サンゴ礁は、海の中で最も多くの生き物がすむと言われるとともに、漁業が営まれ、人々に食糧を提供しています。また、サンゴ礁が育つ海は美しく、旅行者を引きつける観光資源でもあります。地球温暖化が進む中で、このように人々の生活とも関わりが深いサンゴを守っていくことは生き物と文化の多様性を維持していく上でも大切なことだと思います。
五日間の滞在を終え、最後に小笠原の港を出発する前、お世話になった島の方々にお礼とお別れの挨拶をしたところ、お花の首飾りであるレイをかけてくださいました。これは小笠原の風習で、訪れた人が帰るときによく行っているそうです。
いただいたきれいなレイとともに乗船した私は、急いで自分の部屋に荷物を下ろすと、デッキへと向かいました。埠頭を見ると、海や山を案内してくださった方々、宿泊先でおいしいお料理を作ってくださった方などの姿が見えました。
船が出航するときに、私たちは互いに手をふり、別れを惜しみました。
乗船前に島の人から、「もし、また島に戻りたいと思ったときには、レイを海に投げてください。」
と言われていたので、また小笠原に来たいと思った私と母は、いただいたレイを首から外して海に投げました。
私たちが乗っている「おがさわら丸」の横を「見送り船」が途中まで来てくれたことも忘れられない思い出です。

そして、次々と船人が飛び込む姿も感動的でした。島の人々のあたたかさが最後まで感じられ、私は父島や見送り船の姿が見えなくなっても、しばらくの間、小笠原の方を見続けていました。

小笠原諸島を訪れてからこの夏で三年が経ちました。この間、島でお世話になった方々が幾度か私の家を訪ねてきてくださり、思い出話に花を咲かせたり南洋踊りを一緒に踊ったりしました。

世界でCOVID19が拡大している今、島の人たちはどうしているのでしょうか。そう思った私は、夏休み中、小笠原でお世話になった方々と、久しぶりにオンラインでお話をすることにしました。画面の向こうから、このような時期でサービス業は大変であるが、みんな元 気で過ごしていると話していました。そして、普段は観光客を迎え、案内することに忙しかったのが、この春は 観光客が減ったため、家族とゆっくりと過ごすことがで きたこと、また、この機会に新作の料理を考えたことな ど、思い思いに話してくださいました。

報道によると、小笠原諸島の父島も母島もCOVID19の感染者を受け入れられる医療体制が整っていないことから、「おがさわら丸」の乗船前の検査実施を決めた とのことです。八月十一日から、竹芝客船ターミナルか ら小笠原諸島に向かう定期船の全乗客を対象に、PCR 検査を無料で行う対策をしているようです。ひとたび島 内に感染者が出てしまうと離島である小笠原は大変なこ とになってしまいます。そのようなことが起きないよう、また乗船客と村人の健康を守るためにも大事な対応だと思いました。
今はまだCOVID-19により日本、そして、世界は非常に厳しい状況にあります。いつ収束するのかは予 測が難しいですが、この感染症が収まったら、三年前の ときには仕事で行けなかった父も一緒に、ぜひ小笠原諸島を再訪したいと思っています。

二〇二〇年八月下旬

〈参考文献〉

小笠原諸島返還50周年記念誌『原色 小笠原の魂―The spirit of Ogasawara Islands』小笠原諸島返還50周年記念事業実行委員会 二〇一八

引用:第12回子どもノンフィクション文学賞

以上が、悠仁さまが書かれた作文の内容全文です。

皇室といえば、お綺麗になった愛子さまも話題ですね!

愛子さまのビフォーアフターは、愛子さま矯正した!歯列矯正とホクロ除去を比較画像で検証【綺麗になった】で詳しくご紹介していますので、よかったらご覧ください。

続きましては、悠仁さまの作文中で指摘されている「パクリ」について、原文と照らし合わせていきます。

7,000文字を越す超大作の悠仁さまの作文ですが、そのうちの245文字で「パクリ」が確認されてしまいました。

悠仁さま
出典:産経新聞

悠仁さまの作文の中でパクリと言われている部分は、下記です。

悠仁さまの作文中のパクリ部分①海洋島

ひとつめが、海洋島について説明なさっている下記の部分です。

小笠原諸島は、火山が隆起してできた島で、一度も大陸と陸続きになったことがない「海洋島」です。ではこうした島の生き物は、どのようにして島々にたどり着いたのでしょうか。

この部分は、2012年に刊行された「世界遺産小笠原」というガイドブックと酷似しているとのことです。

〈小笠原諸島は、火山が隆起してできた島で、一度も大陸と陸続きになったことがない。こうした島を海洋島という〉(11ページ)

〈(小笠原諸島に)生きものたちはいったいどのようにしてたどり着いたのだろうか〉(12ページ)

引用:デイリー新潮

言葉尻が若干変えられているものの、作文中の内容や意味は、ほぼ同じですよね。

悠仁さまの作文中のパクリ部分②3つのW

続いては、この部分です。

あるものは海流に乗って運ばれ、あるものは風によっ て運ばれ、翼をもつものは自力で、あるいはそれに紛れて、三つのW、Wave(波)、Wind(風)、Wing(翼)によって、海を越えて小笠原の島々にたどり着き、環境に適応 したものだけが生き残ることができました。さらに、人が島に住むようになり、いろいろなものが持ち込まれました。

こちらも同じ「世界遺産小笠原」に書かれている内容をパクったものと言われています。

〈あるものたちは風によって運ばれ、また、あるものは海流に乗って。あるいは、翼を持つものは自力で、またはそれに紛れて。いわゆる3W、風(Wind)、波(Wave)、翼(Wing)により、数少ない生きものだけが海を越えて小笠原の島々にたどり着くことができた〉

引用:デイリー新潮

さきほどと同じく、微妙に文章が違っているものの、3つのWの話や、海を超えて生物がたどり着く様子など、内容はほぼ同じですね。

ちなみに悠仁さまがパクったと言われている本は、下記です。

悠仁さまの作文は本当に引用記載ミスなのか

悠仁さまの作文の中にパクった文章があったという件で、宮内庁からは「引用記載ミス」だったというコメントが発表されています。

確かに悠仁さまの作文の最後には、参考文献として1冊の本の名前が記されていました。

〈参考文献〉
小笠原諸島返還50周年記念誌『原色 小笠原の魂―The spirit of Ogasawara Islands』小笠原諸島返還50周年記念事業実行委員会 二〇一八

この本を参考にしたのなら、先の「世界遺産小笠原」も一緒に記載するのは、ごく自然な流れかとは思います。

ところが、まさかの「記入漏れだった」とのこと。

今回明らかになっているパクリ(引用記載ミス)は、作文のごく一部分でした。

確かにネット上では「中学生の作文にしてはすごすぎる」という意見も。

とはいえ、お父様の秋篠宮様は生物学にも詳しい方として有名ですし、お母様の紀子様も学習院大学の文学部ご出身なので、作文を書く上でのアドバイスもあったかと存じます。

秋篠宮様ご夫妻
出典:毎日新聞

中には、「中学生だし、これくらいは参考にするでしょう」という寛容な意見も多くありました。

悠仁さまが筑波大学附属高校へ進学した件

そんな悠仁さまですが、2022年春より筑波大学附属高校へ進学されることが決定しました。

「提携校進学制度」を利用して、他の受験生と同じように一般入試を受けられた悠仁さま。

一般入試を受けた悠仁さま
出典:週刊女性PRIME

ところが、同じ筑波大学付属高校へ進学する予定の子をもつ保護者からは、あまりよくない噂も聞こえています。

悠仁さまはこれまでお茶の水女子大学附属中学校で学ばれていましたが、悠仁さまのご入学以降、お茶の水女子大附属中学では、学校行事などのイベントに参加できる保護者の数が少なくなったとのこと。

また、マスコミが大勢押しかけるようになるなど、生徒だけでなく保護者にも影響が出ている様子です。

今回、自由な校風で知られる名門・筑波大学附属高校へ進学される悠仁さまですが、早くも周囲から懸念され始めているのが現状です。

悠仁さまの進学や学力については、悠仁さまの進学先が筑波大学附属高校である可能性【成績や偏差値】でも詳しくご紹介していますので、ぜひあわせてご覧ください。

以上、悠仁さまが書かれた作文の全文内容と、パクリ部分がどこなのか、また引用記載ミスの実態について調査しました。

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