今回は、天国へと旅立った瀬戸内寂聴さんについてご紹介していきます。
瀬戸内寂聴さんは波乱万丈な人生経験の持ち主で、恋に生きた方でもありました。
そこで当記事では、瀬戸内寂聴さんの人生の中で起こった3度の不倫とそのお相手、また家族を捨てて不倫に走り、出家するまでの経緯を時系列でご紹介していきます。
瀬戸内寂聴の不倫相手は旦那の教え子と作家!
瀬戸内寂聴さんは1942年、20歳の時に大学講師の酒井悌さんとお見合い結婚をしましたが、その後25歳、30歳、43歳の時に不倫をします。
1度目の不倫のときは寂聴さんが既婚者で、2度目と3度目のときは相手が既婚者でした。
瀬戸内寂聴の1回目の不倫相手は旦那の教え子
1回目の不倫相手は、旦那の教え子だった男性といわれています。
この時、瀬戸内寂聴さんは25歳で、不倫相手となった男性は21歳だったということです。
1度は破局したものの、会えない時間が長くなればなるほど思いが募り、寂聴さんが夫と子供を捨てて京都にいた男性のもとへ走ってしまったそう。
この時、寂聴さんの娘さんはたったの4歳でした。
この「不倫で子供を捨てた件」で、瀬戸内寂聴さんをあまりよく思っていない人がいるのも事実です。
ただ、この経験があったらからこそ寂聴さんの言葉には深い重みがあって、恋に悩む多くの女性に勇気を与えてきたのも事実です。
ちなみに1度目の不倫関係は、すぐに破局したといわれています。
というのも、寂聴さんの気持ちが重すぎて、男性が逃げてしまったんだとか。
しかも旦那さんとは不倫を理由に離婚してしまい、娘さんにも会えなくなってしまいました。
その後、娘さんに会えたのは寂聴さんが出家後の51歳の時で、娘さんは29歳になっており、すでにお子さん(寂聴さんにとってはお孫さん)も誕生していたということです。
瀬戸内寂聴の2回目の不倫相手は作家
瀬戸内寂聴さんの2回目の不倫相手は、作家の小田仁二郎さんです。
作家を目指して活動していた寂聴さんと一緒の時間を過ごしているうちに、次第に恋愛関係に発展したということです。
ちなみに小田さんが師匠で、寂聴さんがお弟子さんという関係でした。
2回目の不倫は8年間続きましたが、この間ずっと小田仁二郎さんには妻子がいました。
ところが妻子を養い、寂聴さんにも生活費を渡す小田仁二郎さんとの不倫生活は、かなり貧乏なものだったそうです。
そんな貧しい不倫生活について、寂聴さんは当時をこう振り返っていました。
男と手を切ると、たとえそれが双方の話し合いのうえでしたときでも、女は傷つけられるとも、女がむかしの恋人を友情をこめて語るのをきくのは、男がむかしの愛人のことをそうするよりはるかに稀だともいう。
けれども今、私は、彼との8年に訣別し、彼の机の並んでいない自分ひとりの部屋で、これを書きながら、やはりまだ、彼に深い友情と感謝と、なつかしさを感じずにはいられない自分を見つめている。
引用:婦人公論
話し合いで不倫関係を清算した寂聴さんは、その後またしばらく独り身の生活を送ります。
瀬戸内寂聴の3回目の不倫相手も作家だった
瀬戸内寂聴さんが3回目に不倫したのは、43歳の頃。
すでに作家としても大成していた寂聴さんですが、3度目の不倫相手もまた作家の井上光晴さんでした。
ですが3度目の不倫では、なんと井上さんの奥さんや娘さんと仲良くなる事態に発展。
井上さんとは7年間も不倫関係が続いた寂聴さんですが、井上さんとその奥さんは、寂聴さんが自分用に購入したお墓のすぐ近くに眠っているそうです。
近くということは同じ墓地に、自分と不倫相手とその嫁が一緒に眠るということですよね。
常識じゃちょっと考えられない事態ですので、井上さんの奥さんってすごくメンタルが強いのかもしれませんね!
そんな奇妙な三角関係をずっと側で見てきたのが、井上さんの娘・井上荒野さん。
井上荒野さんも父親と同じく作家で、両親や瀬戸内寂聴さんのことをモデルにした小説「あちらにいる鬼」などを執筆なさっています。
3度の不倫を経験した寂聴さんは、3度目の不倫相手だった井上さんとの関係を終わらせるため、また自分の不倫体質を変えるべく51歳で出家を志します。
不倫といえば、先日離婚を発表した女優の飯島直子さんですが、離婚のキッカケは旦那さんが舞台女優と不倫したからだと言われているのは、ご存知ですか?
詳しくは、飯島直子の元旦那の不倫相手は平塚真由だった件 舞台女優で顔画像アリでまとめていますので、ぜひあわせてご覧ください。
続きましては、瀬戸内寂聴さんの不倫から出家までを時系列でまとめてご紹介していきます。
瀬戸内寂聴が不倫〜出家するまでの時系列まとめ
ここまで瀬戸内寂聴さんの3回の不倫についてご紹介してきましたが、改めて時系列で寂聴さんの人生を振り返ってみたいと思います。
- 1943年(20歳):結婚
- 1944年(21歳):女の子を出産
- 1946年(23歳):終戦して徳島県へ引き上げる、1回目の不倫相手と恋に落ちる
- 1947年(24歳):家族3人で上京(不倫相手と引き離される)
- 1948年(25歳):家族を捨てて不倫相手のいる京都へ
- 1950年(27歳):離婚して作家を目指す
- 1953年(30歳):作家の小田仁二郎さんと不倫関係へ
- 1956年(33歳):処女作「痛い靴」を発表する
- 1961年(38歳):作家の小田仁二郎さんと破局
- 1963年(40歳):小田仁二郎さんとの不倫をモデルにした小説「夏の終り」で女流文学賞を受賞
- 1966年(43歳)、井上光晴さんと不倫関係へ
- 1973年(51歳):井上光晴さんと別れ出家の道へ
年表で改めてまとめてみると、いかに恋多き女性だったかがわかりますね。
瀬戸内寂聴さんは、恋に落ちたら相手に妻子があろうと関係ないというスタンスを貫きましたが、不倫体質を変えるべく出家を目指します。
3度目の不倫相手だった井上さんにも背中を押され、岩手県の中尊寺にて「瀬戸内晴美」あらため「瀬戸内寂聴」として出家。
出家後はよく知られている通り、主に女性の悩みや生き方について書籍をたくさん出版したり、講演会などを多数行っていらっしゃいました。
瀬戸内寂聴の旦那は先生だった?
瀬戸内寂聴さんの旦那さんについてもご紹介します。
調べたところ、あまり有名な方ではなかったようですが、お名前は酒井悌(さかい やすし)さんという方です。
顔画像なども調査しましたが、発見には至りませんでした。
酒井さんは1913年2年9月1日の徳島県生まれで、寂聴さんと結婚したのは30歳の頃でした。
寂聴さんと同郷の方だったんですね。
また外務省留学生を経て、国立北京大学の助教授になった方で、専門は中国古代音楽史とのことです。(北京赴任時は単身赴任だった)
男で一つで娘さんを育てながら、その後は国会図書館勤務や上野図書館館長、金沢工業大学の理事などを務めました。
ちなみに娘さんには「母親は死んだ」と話していたそうです。
寂聴さんは、娘さんが結婚する際に嫁入り道具を一式送りますが、全部送り返されています。
これは自分と父親を捨てた母を、許せなかった証なのかもしれませんね。
しかし寂聴さんが出家した51歳のとき、娘さんとそのお子さんに再会できたそうです。
子供を生んだことで、母親のことを少し理解できたのかもしれませんね。
多くの著書も残した作家・瀬戸内寂聴さんですが、作家といえば異色の経歴をもつ鈴木涼美さんも話題です。
セクシーな女優さんでもあった鈴木さんについては、鈴木涼美の作品一覧と過去のビデオ出演歴【異色の経歴/顔画像アリ】でまとめていますので、ぜひあわせてご覧ください。
以上、瀬戸内寂聴さんの不倫相手や出家までを時系列でご紹介しました。