今回は、東京オリンピックパラリンピック開会式の楽曲担当である、コーネリアスの小山田圭吾さんについてご紹介していきます。
五輪の開会式楽曲を担当するという大役を担う小山田圭吾さんですが、実は学生時代にやったいじめがひどすぎると炎上しています。
小山田さんは加害者で、被害者の同級生は障害のある人物だったとのことでネットでは「くず」「天罰がくだる」「異常な性格」などと話題です。
当記事では、そんな小山田圭吾さんが行ってきたイジメの内容についてまとめましたので、ぜひ最後までご覧ください。(追記情報あり/2021.9.16)
※当記事は小山田圭吾さん及びその関係者の方を誹謗中傷/名誉毀損する目的はございません。
現在ネットに出ている情報をまとめて紹介した記事内容となっております故、万が一、不都合ありましたらこちらのお問い合わせからご連絡頂ければ速やかに対応いたします。
小山田圭吾(コーネリアス)がやったいじめ内容まとめ
まずは、小山田圭吾さんが過去に行ってきたいじめの内容を振り返っていきます。
小山田さんがいじめを行っていたのは、小学校時代〜高校時代とかなり長い期間です。
いじめられた側の人には何かしらの障害があったとのことで、そのハンディにつけこんだようなイジメを行っていたとのこと。
小山田さんがいじめを行っていたと明かしたのは、「ロッキンオン・ジャパン(1994年1月号)」でのロングインタビューです。
小山田圭吾「ロッキング・オン・ジャパン」インタビュー全文
その中から抜粋した文章が、下記の通りです。(画像をタップすると拡大します)
インタビュー冒頭では、「やっちゃいけないこと」をしていたと語る小山田さんのセリフからはじまっています。
続けて、小学校時代に「沢田さん」という同級生をいじめていた話です。
小山田圭吾の小学校時代のいじめ
小学校2年生のときに転校してきた沢田さんを、執拗にいじめていた様子の小山田圭吾さん。
中学校に進学した小山田さんは、次に「村田さん」という人物をターゲットにします。
小山田圭吾の中学校時代のいじめ
親のサイフから15万円を盗んだ村田さんに、いわゆる「タカリ」を行っていた小山田圭吾さん。
彼は中学3年生の修学旅行で、村田さんやひとつ上の先輩(留年して同級生だった)と同じ班になります。
そして修学旅行の宿泊施設にて、村田さんにプロレス技をかけたり、彼を辱める行為を行っていました。
読んでいて、正直いい気持ちにはなれない内容です。
続きましては、高校時代についてのインタビューです。
小山田圭吾の高校時代のいじめ内容
インタビュー内でたびたび出てくる「(笑)」が、当時の小山田さんの性格を物語っている気がします。
さらにインタビューを通して読むと、小山田圭吾さんが小学校時代からいじめ思想を持っていたことがわかりました。
その傾向が如実に現れているのが、下記の内容です。
インタビュー内容はおおむね以上となりますが、実は「いじめられた側(被害者)」がその後どんな人生を歩んでいるかというインタビューもありました。
小山田圭吾のいじめ後日談
下記内容は、小山田さんが小学校時代にいじめていた「沢田さん」と中学時代の「村田さん」、それぞれの母親に取材を申し込んだ記者の文章です。
もともとは、いじめた人間といじめられた人間のその後を追うドキュメント形式のインタビューだったそうですが、内容があまりにひどすぎるので炎上するのも無理はないかと思われます。
また、被害者のその後を追った記者の行動にも、疑問を呈す人がいました。
ちなみに小山田圭吾さんの出身学校は、東京都町田市にある和光学園(和光小学校、和光中学校・高等学校)です。
小山田圭吾さんについては下記でもまとめていますので、あわせてご覧ください。
続いては、小山田圭吾さんのイジメ内容についてのネット上の反応をご紹介していきます。
※追記(2021.7.22)東京五輪開会式のアートディレクターを担当していた、元ラーメンズの小林賢太郎さんが解任されました。
解任理由は、過去のコントで人種差別的な発言をしたことにあります。
詳しくは、小林賢太郎(ラーメンズ)のコント動画【ユダヤ人大量虐殺ネタの問題点】でまとめていますので、ぜひご覧ください。
小山田圭吾(コーネリアス)がくずすぎて異常【天罰くだる】
ネット上ではいじめを行っていた小山田圭吾さんに対して、様々な反応がありました。
しかし、大半は「くず」「天罰がくだる」「異常な性格」などの反応が多かったです。
ただし彼の才能や実績については一定の評価もありますので、「クズだけども馬鹿ではない」などと擁護する人もいらっしゃいました。
ちなみに小山田圭吾さんのこれまでの実績は、下記の通りです。
- 1989年:「フリッパーズ・ギター」としてデビュー(他メンバーは小沢健二さん、井上由紀子さん、吉田秀作さん、荒川康伸さん)
- 1991年:「フリッパーズ・ギター」解散
- 1994年:Cornelius(コーネリアス)としてソロ活動やプロデュース業を開始
- 1997年:アメリカのマタドール・レコードと契約
- 2003年:ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で行われた展覧会「Shhh…」へ楽曲を提供
- 2006年:「THE CORNELIUS GROUP」というバンドで活動開始。4度目のワールドツアーを行う
- 2009年:オノ・ヨーコとその息子ショーン・レノンらとバンド「YOKO ONO PLASTIC ONO BAND」を結成
- 以降は、コラボや映像作品への楽曲提供などを数多く手掛ける
小山田圭吾さんが五輪の楽曲提供者に選ばれたのは、これまでの世界規模な活動があってこそかと思います。
とはいえ、いじめを行っていた内容をみるに、その人物像にはいくつかの疑問点が残ります。
オリンピック・パラリンピックに携わることで、余計に世間がざわつくのも無理はないかと思いますが、ファンにとっては小山田さんの楽曲も楽しみのひとつですね。
※追記(2021.7.20)小山田圭吾さんが東京五輪の楽曲担当を辞任したことで、後任候補も話題になっています。
詳しくは、小山田圭吾の後任は誰か【岡崎体育が名乗りを!前任は椎名林檎か】をご覧ください。
【追記】ロッキング・オン・ジャパンの編集長が謝罪
追記情報です。
2021年7月18日に、ロッキング・オン・ジャパンの編集長・山崎洋一郎が「当時、小山田圭吾さんのいじめについてインタビューを行ったのは自分である」として謝罪しました。
当時もいまも編集長をつとめている山崎氏ですが、謝罪コメントのなかでは下記のように述べています。
そこでのインタビュアーとしての姿勢、それを掲載した編集長としての判断、その全ては、いじめという問題に対しての倫理観や真摯さに欠ける間違った行為であると思います。
引用・ロッキング・オン・ジャパン
上記をふまえたうえで、当時の記事が掲載され読まれ続けることの責任を感じていると述べた山崎氏。
再発防止を務めるとのことです。
※追記(2021.9.16):メディアから姿を消していた小山田圭吾さんが、文春オンラインに登場して謝罪のコメントを発表しました。
また、ロッキンオンの取材で自慢気に語っていた当時の「いじめ」については、「僕が行ったものではないものも多い」と一部を否認。
いわゆる「ワル」を演出するためのホラだったのでしょうか。
どちらにせよいじめを助長したインタビューであったことに変わりないですし、被害者への謝罪などはまだ済んでいないようですから、今後の動きにも注目です。
小山田圭吾さんの家族情報については、小山田圭吾の家族情報【元嫁は嶺川貴子で息子は小山田米呂/顔画像アリ】をご覧ください。
また小山田圭吾さんの所属事務所代表が、炎上している件も話題ですので、小山田圭吾の事務所社長Oは岡一郎か【顔画像/スリー・ディー(株)代表】もあわせてご覧ください。
以上、小山田圭吾さんが行ってきたイジメの内容についてまとめました